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名古屋地方裁判所 昭和29年(ワ)774号 判決

原告 時利毛織工場こと時田正一

被告 安田生命保険相互会社

主文

被告は、原告に対し金百万円及びこれに対する昭和二十九年三月二日より完済まで年六分の金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

本判決は、金三十万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、主文第一、二項同旨の判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求原因として、

被告会社は、同会社大阪中央支社支社長矢内敬祐名義をもつて、昭和二十八年十一月三十日、額面金百万円、支払期日昭和二十九年二月二十八日、支払地、振出地とも大阪市、支払場所株式会社三菱銀行梅田支店、受取人高井与五郎なる約束手形一通を振出し、高井与五郎は右手形を吉川義一に、吉川はこれを原告に、何れも白地裏書により順次譲渡し、かくて原告は右手形の所持人として第一被裏書人を吉川義一、第二被裏書人を時利毛織工場時利正一と補充した上、株式会社東海銀行に取立委任裏書をして、昭和二十九年三月一日支払場所で呈示したが、支払いを拒絶された。よつて、原告は被告に対し、右手形金百万円及びこれに対する呈示の日の翌日たる昭和二十九年三月二日より完済まで手形法所定の年六分の法定利息の支払いを求めるため、本訴請求に及んだものであると述べ、

被告主張に対し、本件約束手形は被告会社大阪中央支社長矢内敬祐こと矢内一郎が振出したものであつて、被告会社は右矢内に被告会社に代つて手形を振出す権限を授与していたのであり、従つて矢内支社長は株式会社三菱銀行と当座預金勘定契約を締結している。仮に、被告会社が右矢内に手形振出しの権限を与えてなかつたとしても、保険業法第四十二条は商法第四十二条を準用しているから、矢内支社長は被告会社大阪中央支社の支配人と同一の権限を有するものと看做され、営業に関する一切の裁判外の行為をなす権限を有するにより、同支社長振出しの手形につき被告会社がその責を負うのは当然である。被告は生命保険会社の支社は限られた職務権限のみを有し、未だ支店としての実体を備えておらないから商法第四十二条の適用を受けるものではない旨主張するけれども、元来商法第四十二条は善意の第三者は保護して取引の安全を図らんとする規定であるから、保険相互会社の支社なるものは商法第四十二条の支店に相当すると解すべきである。同条にいう支店とは形式的に支店の名称を付した営業所の全部と、形式的には支店でなくとも支店の実体を備えた営業所の両者を指称するのであり、従つて支店と最も紛らわしい支社と称する営業所を設置した限り、その権限が商法上支店の有する権限より狭くとも同条にいう支店に当るといわなければならない。原告は勿論矢内支社長が被告会社に代つて手形を振出す権限があり、その権限内において振出したものと信じて本件手形を手得したのであると述べた。〈立証省略〉

被告訴訟代理人は、原告の請求を棄却する判決を求め、原告主張事実中、矢内一郎が昭和二十七年四月から昭和二十九年一月まで被告会社大阪中央支社長であつたこと並びに原告が現に本件手形を所持していることは認めるが、その余はすべて否認する。而して、

一、仮に、矢内一郎が本件約束手形を作成交付したとしても、被告会社は矢内に手形振出しの権限を与えておらず、又何れの保険会社の支社長も次に説明するとおり商法第四十二条の所謂支店の表見支配人にも当らず被告会社の本件についても同様であるから、従つて、いかなる意味においても本件約束手形につき被告会社において責任を負ういわれはない。

商法第四十二条の適用を受けんとするには少くともその営業所が支店の実体を備えているものでなくてはならない。而して支店なるものは今日の複雑なる企業形態に対応し営業活動の時間的空間的障碍を克服するために設置されるものであるから、本店に従属するものであるとはいえ、営業行為につき相当広範囲の決定権を委ねられ、その範囲において営業活動の場所中心をなし、独立性を備えているものでなくてはならない。支店がかような権限を有しているものであるからこそ取引の安全を考慮し商法第四十二条が設けられているのである。

保険会社の支社なるものは、保険外交員を督励し新契約の募集それに伴う第一回保険料取次事務を行うのが権限の総べてであつて、しかも保険募集をしても保険契約の締結権は与えられておらず保険契約は全部本社において決定されるのであり、のみならず第二回以後の保険料は本社若くは大都市にある営業部において直接集金するのである。かように保険会社の支社なるものの業務はいわば保険の勧誘に過ぎないものであり、支社長は保険勧誘にたづさわる単なる一使用人に過ぎない。従つてそのような支社長に対しては約束手形の振出、裏書、保証等の行為は一切許しておらず、又支社の業務内容からしてその必要が全然ないものである。

右のとおり保険会社の支社なるものは被告会社大阪中央支社をも含めて、保険会社の基本行為である保険契約の締結権ないし失効保険契約の復活承認権を全く有しない単なる保険新契約の勧誘機関に過ぎず保険会社の内部的存在として全く独立性を有しないのであるから、とうてい商法に所謂支店に該当せず従つて支社長なる名称を附しても商法第四十二条の適用はないものというべきである(東京高等裁判所判例昭和二六年(ネ)第二五五六号、同二八年三月三〇日判決参照)

二、次に原告は第三者保護を理由として、たとい生命保険会社の支社の業務内容が保険の勧誘をなすにすぎないものであつても、支店とまぎらわしい名称を付する以上その権限如何に拘わらず商法第四十二条によりその責任を負わねばならない旨を力説する。

然しながら、法律は第三者の保護(動的安全)を考える一面、真の権利関係の保護(静的安全)をも常に重視するものである。しかも商法第四十二条は所謂「看做」す規定として会社に重大な責任を一方的に負荷している。従つてかような規定を解釈するについては本条は看做す規定であることを前提として静的安全と動的安全の調和をどこに求めるか慎重に検討すべきものである。そしてその見地から判断すれば当該営業所に会社の基本行為を行う権限を付与していたことがその主任者の権限の有無に拘わらず静的安全と動的安全の調和点として会社に一方的に責任を強うる理由であり根拠となるものといわねばならない。

三、又商法第四十二条は支店の営業の主任者たる名称を附した以上当該使用人に実質的権限がなくとも当該支店の支配人と同視しようという一種の禁反言の法理を認めたにすぎないのであつて、当該支店の支配人以上の権限を認めたものではないと解せられる。従つて当該支店(営業所)が会社の業務行為につき何等実質的権限のない場合にはその営業所の支配人と「看做」しても無権限の支配人であつて、法律上無意味なことになるのである。

四、次に矢内一郎が商法第四十二条にいう支店の営業主任者に当ると仮定しても、相手方たる本件手形の受取人高井与五郎は、右矢内が手形振出し権限を有しないことを知悉の上交付を受けているのであるから、同条第二項にいう悪意者にしてもとより同条第一項の適用なく、従つて相手方である受取人が悪意であるかぎりその後の約束手形の取得者である原告については既に同条を適用する余地はないものというべきである。

五、原告は本件手形を矢内支社長にその振出権限ありと信じて取得した旨主張しているけれども、原告は矢内が本件約束手形振出しの権限を有しないことを知つていたものであり、もし知らなかつたとすればそれは原告の過失によるものであるから被告にその責はない。即ち、一般に銀行や保険会社のように大衆の財政的信用により金銭を預り一方貸付融資をも業とする所謂銀行的金融業者が、約束手形を振出すということになれば信用上大問題である。現に今迄何れの銀行、生命保険会社と雖も一般人に対し約束手形を振出したことは絶無である。従つて原告において少しく注意すれば、財政的信用を最も重んずる銀行ないし生命保険会社が、殊に被告の如き有名な一流大保険会社が約束手形を振出す筈がないということ況んや一支社長の如きものにさような権限を与えておる筈がないということは当然知り得べきものである。それにも拘わらず慢然支社長にその権限ありと原告が仮に信じたとすれば重大な過失があるものと云わなければならないのみならず本件約束手形の支払場所は三菱銀行梅田支店となつている。安田生命は所謂安田財閥一環の事業であるから被告会社の取引銀行はこれも一環事業である富士銀行(旧名安田銀行)であつて他の銀行とは全然取引をしておらない。これは他の財閥関係の生命保険会社においても同様皆同一財閥の銀行との間に取引し他の銀行とは取引してないのである。しかもそのことは現在だけでなく被告会社始め他の各会社が創立当初から今日まで及んでいるのであつて、このことは今日では世間一般の常識となつている。従つて本件手形が富士銀行以外の他の銀行である三菱銀行梅田支店となつていることについては、万一無権限手形であれば損害を蒙る原告としては当然疑惑の目をむけるべきであり慎重であるべき筈である。それにも拘わらず被告会社に何等確認の手段をとることなく正当な手形なりと信じて交付を受けたとすれば、これ又大なる過失があつたものという外はない。そしてこのような重大過失により手形を取得している原告に対してまで被告において責任を負ういわれはない。

と陳述した。〈立証省略〉

理由

押捺してある印影の成立に争いがなくよつて全部の成立を推認できる甲第一号証並びに証人矢内一郎、同佐々木寛、原告本人時田正一の各供述を綜合すると、訴外矢内一郎は、被告会社大阪中央支社長矢内敬祐名義をもつて、昭和二十八年十一月三十日、金額百万円、満期昭和二十九年二月二十八日、支払地振出地とも大阪市、支払場所株式会社三菱銀行梅田支店、受取人高井与五郎なる約束手形一通(甲第一号証)を振出し、高井与五郎は右手形を吉川義一に、吉川は更にこれを原告に何れも白地裏書により順次譲渡したものであることが認められ、原告が現に右手形の所持人であることは当事者間に争いがない。

そこで右約束手形について被告会社が支払いの責に任ずべきであるかどうかについて判断する。

先づ、矢内一郎が被告会社より手形振出しの権限を授与されていた旨の原告主張について考えるに、証人佐野照夫の証言並びにこれにより真正に成立したと認められる甲第二号証の一ないし三によると、被告会社大阪中央支社は株式会社三菱銀行と当座取引契約をしてこれまで手形小切手の振出しをしていたことが認められるが、証人矢内一郎の証言によれば、右は矢内が個人的に利用するため支社長名義を冒用してやつていたものであることが明らかであるから、これをもつて被告会社が矢内に手形振出しの権限を与えていた資料とはなし難く、その他全立証によるも本主張は認められない。

次に、原告は仮に矢内が手形振出しの権限を授与されてなかつたとしても、同人は被告会社大阪中央支社長であつたから同支社支配人と同一の権限を有するものと見做されるにより、同人の振出した本件手形につき被告会社はその責を負うべきである旨主張するにつき、この点を審究する。

被告会社が右矢内一郎を昭和二十七年四月から昭和二十九年一月まで被告会社大阪中央支社長に任命していたことは当事者間に争いがないところであり、一般に支社なるものは支店とその名称が甚だ類似しているため、世人は通常支社を取引上支店と同様のものと考え支店と同一又は類似の業務を行い、従つて支社長は支店長即ち支店支配人と同一又は類似の職務権限を有するものと考えるのが通常であることに徴すると、被告会社大阪中央支社長は、保険業法第四十二条により準用する商法第四十二条にいう支店の営業の主任者たることを示すべき名称を附した使用人に当ると解するのが妥当である。

思うに、商法第四十二条は、支配人が法律上当然に営業主の代理人たる地位を有することと対応し、使用人に対し支配人類似の支店長、支社長等の名称を附けた場合には、その者を支配人と同一の権限を有するものと見做し、もつて取引の相手方を保護しようとする趣旨に出た規定である(最高裁判所昭和二八年(オ)第五〇三号、同三〇年七月一五日第二小法廷判決参照)。これは民法の表見代理の法理を商法の特質に応じて制度化したものであつて、使用人に対し支配人類似の名称を附与することが、代理権を与えた旨の表示ないし代理権ありと信ずべき正当理由とみて、内部関係の如何に拘わらず、名称相応の権限を擬制し、もつて外観を信頼した相手方を保護し、このような事態を現出させた営業主に禁反言則の責任を負わしめんとしたものに外ならない。されば支店の営業の主任者たることを示すべき名称を附した使用人例えば支店長、支社長が、疑制された権限内においてなした行為の効果は当然営業主に帰属するものにして、この場合に果して支店が所謂支店たる実体を有するか否かということは、商業代理に関する本条においては、全く関係のないものというべきである。

従つて、被告会社大阪中央支社は商法上の支店たる実体を有しないから商法第四十二条の支店に当らないとか、同条を適用するについては当該営業所に会社の基本行為を行う権限を附与していたことを要する旨の被告主張は、本条は前記のとおり営業所が支店の実体を有すると否とを問わず、使用人に支店長支社長等の名称を附与したことによつて営業主が責を負う規定と解されるから、これらの主張は何れも採用できない。又右支店の実体を有しない旨の主張を、支店の実質を有しないが故に支店長支社長というも代理権(支配権)を有しないものであるとの趣旨とすれば、かかる表示に反する主張を営業主自らなすことは許されないといわねばならない。

当裁判所は被告引用の判例とその見解を異にするものである。更に、被告は使用人が支店支配人と同視されたとしても、当該支店が営業に関し何等実質的権限のない場合にはその営業所の支配人と看做しても無権限の支配人である旨述べるが、支配人の権限は法律で一定しており、これに加えた内部的制限は善意の第三者に対抗し得ないところであるから、本主張も亦理由がない。

次いで、被告は矢内一郎が商法第四十二条にいう支店の営業主任者に当ると仮定しても、相手方である受取人高井与五郎は、矢内が手形振出し権限を有しないことを知つて本件手形を受取つた同条第二項の悪意者であるから、その後の手形取得者である原告は相手方ではなく、既に同条適用の余地はない旨主張するけれども、一般私法上の行為に非ざる手形関係においては、代理人により代理せられる本人に対し代理人の権限を信じて権利者の地位に立ち得る者を普く相手方と称し得べく、約束手形の振出人は受取人その他所持人に対し直接手形債務を負担するものであるから、所持人が振出人の相手方であり、所持人について悪意であつたか否かを決すべきものと解する。本主張も亦採用できない。

よつて進んで、原告は矢内支社長が手形振出しの権限を有しないことを知つて本件手形を取得したものであるかどうかについて考察するに、全立証によるも原告がこれを知つていたことは認め難いし、知らなかつたことにつき過失があつたとしても悪意者となるべきものではない。又保険会社支社なるものは営業に関し何等実質的権限を持たない保険新契約の勧誘機関にすぎず、従つて支社長は手形振出しの必要もその権限も無いという被告主張が、証明を要しない顕著な事実であるともいえないから、原告は矢内支社長が被告に代つて手形を振出す権限を有しないことを知つていたものとなすことはできない。むしろ原告本人時田正一(第二回)尋問の結果によれば、原告は本件手形について、その取引銀行である株式会社東海銀行奥町支店を通じて支払場所である株式会社三菱銀行梅田支店に確認を求めたところ、大阪中央支社長の印影は同銀行の当座取引に届済印と相違ない旨の報告を得たので、本件手形は被告会社大阪中央支社長がその権限に基き振出したものであつて確実に支払いを受け得るものと信じて右手形を取得したものであることが認められるのである。

されば、裁判外の行為につき支配人と同一の権限を有するものと擬制される矢内支社長が、被告会社大阪中央支社長名義で振出した本件約束手形につき、被告会社はたとい内部関係が被告主張どおりであろうとも、手形行為は無因のものであり客観的抽象的に考えて支配人の権限内に属する行為であるから、その効果が本人である被告会社に帰属するのを拒否し得ないものといわねばならない。

よつて、被告は原告に対し、右手形金百万円及びこれに対する呈示の日の翌日たること右甲第一号証により明らかな昭和二十九年三月二日より完済まで手形法所定の年六分の法定利息の支払義務あるものというべく、原告の本訴請求を理由あるものとして認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を仮執行の宣言につき同法第百九十五条第一項を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 榊原正毅)

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